刃牙道感想 第191話「生殺与奪」



刃牙の蹴りがついに直撃した!
刃牙の得意技、上段回し蹴りの威力は凄まじい。
妄想とはいえアイアン・マイケルを一撃で倒している!
そして、妄想とはいえ体重100kgのカマキリには通じなかった。
今回はどっちだ!


刃牙の蹴りが武蔵に直撃する。
武蔵の頭部からは何やら魂のようなものが抜け出ている。
クリーンヒットが行われた時に出る表現である。
これは効いたか?
本当に効いたのか?

ここで刃牙は比較くらべていた。
比べるのは何度も繰り返せる近代格闘技の試合と敗者が死ぬ武士の死合いである。
1戦1戦の重みはたしかに武士の方が重い。
命がけそのものである。

だが、負けても繰り返せるからこそ磨かれる技術もある。 リスク上等の積極策は試合でこそ身に付くものだろう。
万物は試行錯誤の連発である。
敗北という試行錯誤が洗練を生み出すこともあるのだ。
また、負ければ死では誰も積極的に試合を行わない。 結果、技術の発展が遅れることもままある。

試合と死合いは求められるモノがまるで違う。
比べてどちらが勝るか劣るものではないのだが、何度も繰り返せる分、洗練されるのは試合だろう。
本部の槍特攻からのハイキックは試合で生み出された異次元コンビネーションかもしれない。 ……そうでないかも。

そして、試合において刃牙は並ぶ者がいない。
試合も相手に困るものだが、刃牙はそれに困ることがないのだ。
何せリアルシャドーで圧倒的な回数を稼いでいる。 リアルシャドーで幾度も経験を重ねたことが刃牙の強さを支えているのだ!
リアルシャドーの信用性はどこかに置いておく。

この試行錯誤、歴史こそが近代格闘技が持つ古武術への突破口と言えよう。
そして、刃牙は近代格闘技をピクルへの突破口とした過去がある。 ここだ! ここで近代格闘技のメリットを語れ、本部!
なお、ピクル戦では妖術を突破口としたような気もするが忘れよう。

「いずれの決着も」
「勝者は「生殺与奪」を手にしている」
「お理解わかりだろうか」
「「生命いのち」の奪り合いではない――しかし」
「近代格闘技はなんなら殺せる」


近代格闘技は打撃によるダウン、関節技によるタップ、絞め技による締め落とし!
いずれの勝利においても生殺与奪を手にしており、その気になれば殺せるのだ!
思いっきり過程を無視しているんですけど!?

まさかの方向だった。
いや、殺せる殺せないの問題では……
結果よりも過程に触れていただきたかったのですが……
というか、近代格闘技なら刀を投げたらあかんだろう。
つまり、今の刃牙は殺す気になれば殺せる。
そして、殺す気になれば殺せる試合ばかりやってきたから、武蔵の経験に劣るものではない。
……ということ何ですかね?
だとしたら、やたらとエア斬りを食らったのは何だったのか。

「はいザクー」

さて、刃牙は手にした脇差しで武蔵の胸をつつく。
すると武蔵は慌てて起き上がる。
刃牙の上段蹴りによって完全に気絶していたようだ。
マジで気絶していたのかよ!?
斜め上の展開が続くのであった。
うーん、烈の胴回し回転蹴り

終了おわりにしましょう」

さらに終わり宣言である。
この言葉に観客たちも驚く。
エア斬りで何回も殺されたり、刀を持たせたと思ったら蹴り一発で終わり宣言をされたりと大変扱いに困る。
武蔵は刃牙に対して反論をせず敗北を痛感する。
わりとコロコロ負けている。
本部に負けるくらいだからコロコロ負けるのも道理か。
本部に負けた奴はコロコロ負けているし。
……本部が勝ったのは武蔵以外には柳しかいないけど。

「手にしたままなら俺はズタズタだ」

刃牙はエア斬りでなますにされたことはちゃんと覚えているようだった。
これは帯刀した武蔵には勝てないという意味合いか?
つまり、どっちが強いのか、勝ったのか、何ともあやふやにされている。
お互いの土壌が違いすぎて勝負の土台になっていない。 でも、刃牙は素手の武蔵にボロボロだったから近代格闘技の恥晒しでは?
刀も投げちゃったし。

「それより武蔵さん」
「貴方を葬らなきゃ」
「今から」


刃牙は武蔵を殺す宣言を捨ててなかった!
何か勝ち負けがよくわからないまま、葬る流れに持っていこうとしている。
この無理矢理感とこじつけ感はさすが刃牙である。
刃牙は何をするのか。
本気で武蔵を葬るのか?
刀を折ってお茶を濁すのか?
いずれにせよあそこまで周りに喧伝したのだから相応のことをやらないと怒られそう。 次回へ続く。