範馬刃牙 第138話 本分



勇次郎がダメ出しをした。
髪が逆立つほどに猛っている。
重大なミスとは何であろうか。
地上最強の説教が今始まろうとしている。


「仰る通りだ」

〜〜〜〜ッッッ。
独歩はあっさりとミスを認めた。しかも、敬語で認めた
(多分)対等の相手にもへりくだってしまうほどのミスなのであろうか。

「今頃になって自分を―――」
「嫌悪している」
「甘きに……… 傾きすぎた………………」


甘きに傾きすぎたのが独歩のミスだった。
わかるようでわからない。
ともあれ、自らを嫌悪するほどのものである。
相当に大きなミスであることは疑いようもない。

一息入れるためか、勇次郎はマスターにポート・エレンの10年物を注文する。
ポート・エレンは既に生産を終えたスコッチだ。いわばレアものである。
通販のサイトを試しに見てみるとボトルひとつで安くても2万円はしているらしい。
そこそこの値段だ。
しかし。庶民の給料1ヶ月くらいの高級スコッチを注文しないのはちょっと意外である。
値段の高さに捕らわれず、素材本来の味を楽しむのが勇次郎なのであろうか。

マスターは緊張しながらポート・エレンを棚から取り出す。
ここで置いていないなんて言ったら殺される。
マスターは知らぬうちに己の生命を賭けた戦いに身を投じているのだ。

でも、ポート・エレンは生産停止したのが20年ほど前だから、10年物は存在しないはずだ
ググってみたら20年という数字ばかりが並ぶ。
いや、スコッチについては詳しくはないのですが。
もしかして、パチモノを差し出したのか?
それともそれをわかった上で勇次郎は無理難題を押し付けたのか?

さて、マスターは飲み方を問う。
前回、脅威の飲酒方法で勇次郎の凄まじさを知った。
もはやグラスをすすれなんて嘗めたことは言えない
精一杯勇次郎に合わせるのだ。前回、キレなかったのがおかしいくらいなんだ。
マスターは至極正しい判断をしている。

勇次郎はボトルそのものを差し出すように命じる。
ボトルを逆さにして底辺に手の平を当てる。
そして、手を持ち上げる。
底部が普通に取れた。
ボトルの口を握力でへし折る花山以上の神技を見せた。

底部の切り口は水平だ。
だが、勇次郎は縦ベクトルの力しか与えていない。このような壊れ方はしないはずだ。
技術か?あるいは力か?
驚愕の勇次郎力学が働いたようだ。
勇次郎力学が働けば瓦割りだって一番下の方から割れるし、押し付けるだけで粉々になる。

勇次郎は底部を切り取った後、中身をジョッキに移し替える。
ジョッキにはスコッチ以外は何も入れない。ストレートだ。
アルコール分、実に70%ものスコッチをストレートで飲む気か?
飲んだ。一気飲みした。
注ぎ方も飲み方も普通じゃない。
この人はいちいちパフォーマンスをやらなければ気に入らないらしい。
こうしてスコッチを飲み干した勇次郎は「甘きに傾きすぎた」の意味を問う。

「息子 克己の成長に目が眩み――――― 我を忘れた」
「三段跳びで成長する倅を前に―――― 飛躍しようとする我が子を前に」
「己の本分を忘れ去った 武術家の本分をッ」


親なら我が子の成長を喜ぶのを許される。
だが、独歩は親である前に武術家だ
喜ぶだけではない。自分より強き人間が現れたとなれば、武術家としては対抗意識を燃やさなければダメだろう。
それを怠ってしまった。武術家としての己を忘れ去ってしまった。

「たとえ親兄弟でも手加減をするなッッ」
「そう教えてる俺が そう嘯いている武闘集団が」
「皆が甘ったるい成長物語に酔いしれた」
「地上最強のカラテ…? 聞いて呆れる」


組織一丸となって克巳を応援した。
だが、暴力世界に生きる武闘集団としての姿はなかった。
独歩だけではなく神心会そのものが克巳の輝かしい成長を前に自分自身を見失ってしまったのだ。
強いんだ星人としての本能も失ってしまった。
たしかに重大なミスだ。

それは自分自身の成長を止めることにもなるだろう。
誰かを越えようという気持ちがなければ強いんだ星人は強くなれない。
克巳はそうして強くなった。だが、それを失った。
自分自身の限界を自分で定めてしまったのだ。

勇次郎はタバコを吸う。
餓狼伝であったワンカットのように、一度の吸気でタバコ全てを灰にして、それをマスターに吹きかける。
いい迷惑だ。
やっぱり、嫌がらせをしたかったのかもしれない。

吸い終えてから独歩に全てを言われたと告白する。
これ以上、独歩を責めるようなことは言わなかった。
独歩の心情は一歩間違えれば自分にも当てはまることだ。
勇次郎は言わずもがな親馬鹿だ。ヘタすれば独歩と同じようなことになる可能性がある。
むしろ、なっているかもしれない。
何せ刃牙の成長を喜んでいる節が何度も見られる
だからこそ、勇次郎はこれ以上追い打ちしないのかもしれない。

勇次郎は話題を変えてピクルが蘇ったことをどう思うのか独歩に聞いてみる。
突如現れた太古の人類だ。
勇次郎にも思うことがいくつもあるだろうし、他人がどう思っているのかも気になるのだろう。
あの勇次郎が珍しく普通の一面を見せていた。

独歩は紙とマスターから受け取り何かを書き込む。
まず、書かれた数値は50/190000000という分数だった。
1億9千は言わずもがな、ピクルの睡眠時間だ。
そして、50は独歩が言うには現役でいられる年数であった。
いや、現役時間は50は長くないか
146歳とか超例外がいるとはいえ、30代が格闘家としての限界であろう。
でも、格闘家ではなく武術家なら50歳とか余裕かもしれない。
本部だって今だ現役だし。

さて、50/190000000を約分すると1/3800000になる。
勇次郎は「ほう……」と何かをわかったように呟く。
一体何がわかったんだ?
すごく…さっぱりです…

「数学的見地から言うなら」
「確率が30万分の1以下なら0パーセントと言えるらしい」
「つまりそれが起こる可能性はないって言えるんだ」
「この数字」
「偶然じゃない」


独歩は叩き出した数値の意味を解説する。
そして、二人揃ってバーを出る。
………
おいちょっと待て結局何なんだよ、その数値は。
1億9千年を現役でいられる年数50で割ったら、0%と言える38万分の1が出てきた。
すごい。
すごい意味がわからない。

強引に解釈するとピクルが蘇る可能性は明らかに0だ。
だが、蘇ったのは奇跡ではない。年数で割ってみたら0だったから偶然なんかじゃない。
…言ってる私がわからなくなってきた。
MMR並みによくわからない理屈である。

というか、現役年数をコロコロと変えることができる。
結論を求めるまでの過程を好きに変更できるのが間違っている。
独歩じゃなくドバヤシじゃないのか、この人。

ともあれ、わけはわからないが二人は満足気だ。
独歩との会談は勇次郎にとっても有意義だったらしい。

「思い上がっていい」
「とてつもなくデカい何かが気付いちまった」

「天上の誰か……………」
「地球史上最強を決定(きめ)るのは――― “今しかない”――――と」


ピクルとの戦いは地上最強を決めるのでなく地球史上最強を決める戦いである。
ジュラ紀(あるいは白亜紀)VS現代の実現し得ない戦いが神の手で行われようとしている。
そこに身を投じなければ強いんだ星人失格だ。

独歩は烈の敗北を知った時点ではピクルとの戦いに乗り気ではなかったようだった。
だが、克巳の戦いを見て、その結果強いんだ星人としての本能を思い出した。
独歩もピクルとの戦いに身を投じる時が来たのだろうか。


さて、場面は刃牙ハウスへ移る。
朝日登る早朝だ。刃牙の身体は全身汗だらけになっている。
刃牙は克巳からバトンを渡された。とてつもなく重いバトンだ。
無様な戦いは許されない。そのためにトレーニングを重ねているのだろう。

「スゴいな……… こんなのは初めてだ……ッッ」
「まるで映像(イメージ)が――――影も形も浮かんでこない……ッッ」


刃牙はピクルとのリアルシャドーをしようとしていた。
が、ピクルのイメージが出来上がらない。
まったくの未知の対戦相手だったのだ。
つーか、リアルシャドーかよ!
リアルシャドーで勝てれば現実でも勝てると思ってるのか、こいつは。
刃牙は早速克巳のバトンをドブに投げ捨てた。

刃牙は過去勇次郎とティラノサウルスのリアルシャドーに成功している。
勇次郎はともかくティラノサウルスはまったく見たことがない。
どんな生物なのか図る要素がないのだ。

だが、そんなティラノサウルスの具現化にも成功した。
刃牙の想像力は創造の域にまで達しているはずであった。
しかし、ピクルの具現化は出来ない
何とも不思議だ。

刃牙はファイナルマッハ突きが炸裂した時には克巳の勝利を疑っていなかった。
だが、現実は違った。ファイナルマッハ突きに耐えうるタフネスを持っていた。
これを考えるとピクルの能力は刃牙が実際に見ても測りきれないものなのだろう。
刃牙の創造力を越えるほどの身体能力を秘めていた。
故に実物を見てもイメージすることができない。刃牙の妄想力を凌駕する存在なのか。

でも、それなら勇次郎の具現化に失敗してもおかしくない気がする
勇次郎も誰にも測りきれない異常性を誇る。
リアルシャドーなんて出来そうにもないのに…
あの時は見物人が集まってきたから適当な妄想で代用したのか?
勇次郎に見えたものは実は夜叉猿だったのかもしれない。あるいは幼年編で戦った時の勇次郎。

「サイコーだよアンタ………」

いや、そんなところを褒められても…
刃牙だけが勝手に盛り上がっている。当のピクルは関係ない。
というか、リアルシャドーできるかどうかが強者か否かの判断基準なのか?
ワガママな刃牙らしい自分本位な判断基準である。
オリバに対して舐めた行動をするようになったのも、リアルシャドーであっさりと勝てたからかもしれない。

それにピクル本人は刃牙のことを忘れている可能性だってあるぞ。
何せ餌以下の遊び相手だ。
恋人とも言えるほどにまで友好度を高めた烈や克巳とは比較にならない。
ヘタしたら押し合った花山の方が評価が高い

この調子ではマズいだろう。
戦いを決意したのはいいが過程がメチャクチャだ
やっぱり、生贄がもう何人か必要になるのか?
次週は休載なので再来週の次回へ続く。


親馬鹿会談は終わった。
珍しく勇次郎の態度が柔らかい。
二人とも親である。そのため、通じ合う部分があるのだろうか。

子の成長を喜ぶのが親というものである。
独歩も気持ちは勇次郎とてわからなくもないだろう。
刃牙の一挙一動にはしゃいでいるし。
でも、刃牙はまともな成長しないから、ちょっとだけ独歩を羨ましがっているかも。

独歩は自分に強いんだ星人としての闘争心がなくなっていたことを認めた。
ならば、それを取り戻すことになるのだろうか。
その先にあるのは当然ピクルとの戦いであることは間違いない。
克巳がピクルと戦っている最中にはさっぱり出番がなかった加藤にも光明が訪れるか?

烈の4000年の中国武術が通じなければ、克巳の50年先の未来空手も通じなかった。
ならば、独歩の空手も通用する可能性も低い。
それとも実戦で磨かれた愚地流空手こそが太古の野生に痛手を負わせられるのか?
でも、虎口拳とかその他諸々も通用しなそうだよなぁ…

独歩はけっこう不覚を取る。
ドリアンに頭を爆破されたりJr.にサクッとやられたりと、強いことは強いけれど負けも多い。
武道家は特攻隊じゃないから負ける喧嘩はしないというのは独歩の言葉だ。
だから、負ける喧嘩には弱いのかもしれない。
逆に勝てる喧嘩には強いだろうし、そうした状況を作り出すのもうまいのかも。
そのため、独歩がピクルに挑む時は勝機を掴んだ時か。
あの非生物相手にいかに勝機を見出すかが問題だけど。

それにしても勇次郎は暴飲だ。
前回といい普通に飲めないのか、この人は。
喫煙もし放題だし健康にも悪そうだ。
いや、勇次郎がそんな些細なことに縛られはしないんだけど。
ピクルも1ヶ月食わないでいたりするし、強者に限って体調管理に疎いのか?

一方で刃牙はやる気があるのかないのか。
イメージを固められなくて汗をだらだら流している姿を克巳に見られると見損なわれるぞ。
良い方向に考えれば真マッハ突きのトレーニングと勘違いされるかもしれない。
いや、良い方向じゃねえよ。

リアルシャドーを好意的に解釈すれば、刃牙はトレーニングよりも実戦を重視してるということになる。
勇次郎は膨大な実戦を繰り返すことで鬼の貌を身に付けた。
同じように刃牙もリアルシャドーで実戦を重ねれば強くなれるのかもしれない。
刃牙のリアルシャドーは現実と大差ないし、実戦同様の効果はあるはずだ。
…いや、それでも妄想相手はどうなんだ?

ただ、何でいきなりピクルとリアルシャドーしようとするんだ、この人は。
今のところ、ピクルと戦った格闘家は人体欠損率100%だ。
ヘタすればピクルと戦う前に身体の一部がなくなる。馬鹿だ。
おとなしくティラノサウルスと戦えば…それもどうなんだ。

しかし、こうしているとリアルシャドーで満足して現実と戦わなくなりそうで怖い。
リアルシャドーのピクルに勝てたからいいや、みたいな。
勇次郎にもリアルシャドーで勝てたから満足してみたり。
ここ1年は刃牙は戦っていないし軽い引きこもり状態だ。

そんな引きこもり生活をしている時に妄想では飽き足りないピクルが現れた。
妄想から現実へ。2Dから3Dへ。
刃牙が引きこもりから脱出できるチャンスだ!
でも、3Dよりもやっぱり2Dの方がいいやと引きこもり生活に戻りそうだ。
刃牙の社会復帰はどうなることやら。



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