EPISODE13 遙か彼方、星が音楽となった…かの日(予告)
#13
奪 われたのでなく、解 き放たれたと知った君がついに立つ。
倒すべき悪の潜まぬ闇 を貫くは、壊れやすいまでに純 な輝き。
英雄でない者だからこそ、その手に零さず掴める世界 がある。
EPISODE13 遙か彼方、星が音楽となった…かの日
寂しさは優しさへ…傷痕は、強い絆 結ぶ証になる。
この胸の希望 に終わりはない。
飛び立とう、声を重ねて――空 が待っているから。
このマリア・カデンツァヴナ・イヴの逆転オーラ!
ラストアルティメット謎ポエムファイナルはまさにマリアのために捧げられた謎ポエムである。
「奪われたのではなく、解き放たれた」って物凄く上手い言い回しですね。
全然マリアさんがへっぽこという空気がしない。
へっぽこだけどな!
ともあれ、今日までのへっぽんこつ†マリアさん†は最終回までの溜めに過ぎなかったのだ。
ここまで溜め込まれたキャラは金子彰史作品では初めてだ。
その爆発力は今までのへっぽこを覆すほどのものになるに違いない。
これで凹んだらちょうすごい。
あとスクショに出番ないっすね。こんなところでオチを用意する辺り、さすがである。
サブタイトルの「遙か彼方、星が音楽となった…かの日」は逆光のフリューゲルの歌詞にして、
シンフォギアGの副題「In
the distance. that day. when the star become
music...」の和訳だ。
第1期と同じように副題が最終回のタイトルとなった。伝統と実績である。
また、OPソング「Vitalization」の歌詞が謎ポエムに使われている。
第13話はシンフォギアGに秘められたテーマ性とマリアさんが爆発する落涙の1話になることは間違いない。
あと一本背負いやマムロケットみたいなシリアスなギャグをやってのけるのも間違いない。
だって、それがシンフォギア。だって、それが金子彰史。
・アーマーパージ+アーリーシルエット
アーマーパージからの一連の攻防は翼とクリスが互いに捨て身の奥の手を出し合うことで初めて成功したものだった。
存外、薄氷の勝利のようである。
・マムロケット
用語解説で生存は絶望的と念を押された。
ここまで念を押されると怪しい。
80kmの車いすで緊急脱出したんじゃないだろうな……
・。・゚・(ح≧Д≦)ح・゚・。<無理よ!
でも、今回はこのネタから更新までの時間が短かった。
つまり、マリアさんは有能。
・マリア・カデンツァヴナ・イヴ
第12話でもヘタレたままで、賞味期限は良くて第4話、全盛期は第1話と絶望視される始末である。
でも、私はマリアさんに妙な愛おしさを感じてしまう。
装者最年長なのにダメだから?
いや、マリアさんには筋の通った揺るぎない信念があるからだろう。
マリアの目的は月の落下で失われる命を可能な限り救うことである。
その目的を果たすために何でもする、というわけではなく、誰かを傷付ける選択肢を避けている。
(それはF.I.S.の装者は皆そうだと描写されているが、特にマリアは明確に描写されている)
人質を解放したり、米国の兵士の排撃を躊躇ったり、時には甘さにも繋がっている。
だが、それは誰かを傷付けることを厭う優しさ故のものだろう。
それは誰かと手を繋ぐことを求め、そのために無手になった響と似ている。
2人共、誰かと争うことを嫌っているのだ。
響がクリスを殴り、マリアが翼に応戦したのも、相手が自分以上の戦力を持っていたことによるものが大きいだろう。
響の場合、どうしようもない現実には二課の大人たちが肩代わりをしてくれている。
複雑を極める外交問題の中で響たちが普通の日常を送れているのは、二課の大人たちの尽力あってのものだろう。
対してマリアはどうしようもない現実に抗う術を持たない。
ウェル博士が非道を働くことで一時凌ぎにはなるものの、背負った現実の重みは加速していくばかりである。
自らの手で米国兵士を殺めた時にその重みに潰され、ウェル博士に従う道を選んでしまうわけである。
折れまくる一方でマリアはかろうじてではあるが自分を保っている。
米国兵士や未来など目的達成のための犠牲を出すことをやむなしだとしても、
それを血を流しながらも耐えていたことから根は何一つ変わっていない。
そして、犠牲に報いるためにもフロンティアを起動に当たって最善を尽くし、ウェル博士の目的が目指したものと異なるとわかると抗った。
絶望の淵でも世界を救うための希望があるなら、それを遂行しようと尽力した。
凹んではいるがその芯はブレてはいないのだ。
唯一、ブレたとすれば世界を救うことが叶わずナスターシャ教授を失ったことで怒りに身を任せただの優しいマリアを捨てたことだ。
だが、それを響に止められた。止めてもらえた。
そして、響こそただの優しいマリアでいることを真っ直ぐに肯定し、それでもできることがあると支えてくれる人間だろう。
だからこその「生きるのを諦めるな」という言葉である。
2人のガングニールはここに至るまで邂逅することはなくすれ違うばかりだった。
だが、邂逅しないことにこそ意味があったと言えるのではないだろうか。
響が皆に支えられ自分を一直線に通してきたのなら、マリアは誰かに支えてもらえない中でも自分を一直線に通そうと足掻いてきた。
2人の境遇は劇的に異なると同時にどこまでも似ている。
まさに響とマリアは光と影の関係なのだ。
だからこそ、この2人が支え合う展開というのに胸が躍る。
お互いに同じ意志と同じ弱さを抱えている。
そして、同じ強さだって持っているだろう。
マリアの嘘を象徴する黒いガングニールを奪われたのではない。解き放たれたのだ。
付け加えるならマリアには「歌を愛する」という揺るぎない一心がある。
第1話で世界中の観客に向けた楽しそうに歌を歌い、マリアの嘘偽りのない本当の姿なのだろう。
第1話で本当の姿を見せて、そこからはずっとそれを隠してきた。
隠してきた姿は第13話で解放されるに違いない。
シンフォギアは対比が頻用されて紡がれる物語である。
マリアの本当と嘘もまた照らし合わされてその真価が明らかになるに違いない。
また、本当も嘘も本気だからこそ、マリアは落ちぶれながらも輝いているのだ。
飼いたい。
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