刃牙道感想 第86話「奥義」



武蔵の奥義が炸裂するか!
刀を捨てたままか、あるいは刀を拾うか。
どちらにせよ本部の出る余地はない。
ついでに板垣先生は本部を本気で活躍させる気らしいぞ。
我々も覚悟を決めないといけないようだな……


さて、時は武蔵が生きていた時代に遡る。
その時の武蔵は58歳。
既に老年でちょび髭だ。
ここまでハッキリしていたなかった武蔵の精神年齢だがこれにて確定だ。
佐々木小次郎のことをなかなか思い出せなかったのも大分昔のことだったからか。
刃牙の時にあっさりと思い出せたのは死合いをするようになって最初の方で印象深かったからか?

若い肉体と円熟した精神という矛盾した2つを兼ね備えているのが現代の宮本武蔵であった。
こうした矛盾を備えている戦士は今までにいなかった。
さながら100年前の肉体に現代の技術と老獪さを備えた郭海皇か。
武蔵は心技体の全てが最高の状態であると言える。
その頃の武蔵は道場で門下生たちに技を教える身になっていた。
望んだ名声を見事掴んでいる。
それでも満足せず現代においても死合いを望み名声を得ようとしている辺り、なかなかに欲深い。
老齢に達した精神ながらまだまだ張りと艶がある武蔵であった。
強欲ジジイとも言う。

さて、道場では武蔵と若い弟子が向かい合っていた。
弟子は木刀を構えるが武蔵は無手だ。
その弟子はまず武蔵の年齢を疑う。
58歳というのは平均寿命が30歳前後と言われている戦国時代では異例の高齢とも言える。
さながら146歳の妖怪ジジイと対峙しているようなものなのだろう。

そんな老齢ながらも並々ならぬ威圧感を持っていた。
そして、その両手には持っていないはずの刀が見えていた。 幻影刀はこの時点で完成している、というよりもこの時点だからこそ完成したと言うべきか。
武蔵が老齢になって完成させたのが幻影刀なのだろう。

その武蔵に弟子は気圧される。
それでも斬りかかろうとするが一瞬のうちに武蔵は弟子に密着していた。
0.5秒の先読みを極め、足捌きを極めた先にある境地がこれだろうか。
もっとも皮肉にも同じことを勇次郎にやられたのだが。
そして、武蔵は呆然とする弟子の身体のあらゆるところをわかりやすいように仕草付きで斬った後に、腕を取りぐるりと回転させ脚から着地させる。
すわ、合気か?
だが、思い切り振りかぶっている辺り、力任せだから合気とは違うのだろう。
ちゃんと着地させる辺りに技も見えるのだが。
これも皮肉にも同じことを勇次郎にやられている。 この武蔵の一連の動作は範馬一族に伝わっているもの、武蔵の血筋と範馬の血筋は同じだとか……?
あるいは五輪書を読んだ勇次郎があえて武蔵にやってみせたとか……?

弟子曰く、武蔵は今年ももう暮れになったというのに刀を1度も手にしていないようだ。
これが武蔵が刀を久し振りに握ったということに繋がるのだろう。
そうなると問題は刀を握らなくなった理由だ。

武蔵曰く、楷書が行書へと進み、やがて草書へと至った。
本当は隷書から草書になったといろいろと過程が異なるのだが、まぁそこは置いておいて。
武蔵は紙に書き続ける日々を送っていた。
意外にもインテリというか、文系である。
その日々の中で紙に書くことから脳内で書くようになる。
そのうち、壁や滝、果ては空を見ても書くようになる。
そうなるともはや筆は不要!
……脳内に描いた時点で完成とするならば、人は妄想だけで生きていけるのだがそれは置いておいて。

「同質おなじ也」
「剣もまた!」
「無刀に至るッッ」


剣の最終進化形は無手!
やはり素手か、宮本武蔵!
剣術が進化した結果、剣を持たずとも剣と同等かそれ以上の戦力を手にするに至ったのか。
何か意味がわからんがそういうことなのだ。

これで小生は何とかピエロ化を避けられた。
初代地下闘技場のエピソードはまぁそのうちということで。
初代チャンピオンは矛盾しないしいろいろな辻褄も合うので是非やって欲しいのですが。

「姓は範馬」
「名は勇次郎」
「人呼んで「地上最強の生物」……」「らしいわ」


さて、現代。
奥義の解禁を目前にした武蔵に勇次郎も感じるものがあったのだろう。
自分の名前を名乗るのだった。
あ、勇次郎って本当に勇次郎って名前なんだ……

ともあれ、待望の武蔵の素手だ。
だが、武蔵は刀を持っていても強かった。
それよりも強い素手となると一体どうなるのか。
まぁ、武器より素手が強いのはいつものことだが。 ついに出る武蔵の拳に鬼の拳はどう戦うのか。
あ、それでは300点の本部以蔵さんは武蔵の本気が素手にあることにコメントをどうぞ。
次回へ続く。


武蔵の本気は素手!
幻影刀を使うのか、あるいは刀なしの素手なのか。
現代の素手とは違う素手を見せることは間違いないだろう。
現代の拳とは異なる剣となった拳!
ややこしいな。

本部の武蔵評価としては武芸百般に長けるというものだった。
烈戦で用いた素手での戦いはそのうちのひとつと見せて、実は武蔵の真髄であったようだ。
烈の敗因は武蔵の本気がそこにあると見抜けず、生身と刀を正面衝突させてしまったことか。
本気が素手にあるというのは似た者同士だった2人である。

さて、動向が気になるのは本部である。
おう、武蔵の本気が素手にあった気分はどうだ?
300点のお前なら楽勝なんだろうな?
いや、本部が守護るとか言い出したのはそこにあるのかも。
武蔵の本気が素手なら300点の俺には勝てないという自信……
はよ、解説!

そうなると刃牙は武蔵の本気を地味に引き出していたということになる。
あの手刀は武蔵の必殺技のひとつだったのだろう。
刃牙の惨敗に見えて意外と惜敗だったのかも?

ところで刃牙はどこへ消えたのだろうか。
アンタ、大物との戦いを観戦するのが恒例じゃないですか。
勇次郎VS独歩の時から脈々と続く伝統である。
いや、本部に負けたのだから引き籠もりたくなる気持ちもよくわかるがね。
今回ほど刃牙の出番のない理由に納得のいくものはないと言えよう!



刃牙道(8): 少年チャンピオン・コミックス