今日を以て稲穂スタジオ設立から20年が経過!
……よくもまぁ20年も続いたものですね、ホント。
というわけで20周年を記念して振り返りまーす。
・サイトを設立したきっかけ
稲穂スタジオが何のサイトだったのかとなると、設立当初はRPGツクール5(以下、ツク5)のサイトでした。
その当時の時点でバキ感想がコンテンツにあったりとわけのわからないところはありましたが、ひとまずそれは置いておいて。
ツク5のサイトならツク5のあれこれを共有したくて設立したのですが……
設立に至るまでいくつかの流れがありまして。
当時の私はホームページという存在には偏見というか偏った見方をしていまして。
真の実力者が作る場所というイメージですね。
2005年当時、今とは比べものにならないほど玉石混交だったインターネットで真の実力者って何だよ……となるかもしれませんが、まぁ、そんなイメージを持っていまして。
それもあってその当時はサイトを作るどころか掲示板への書き込みさえしていなかったんですよね。
だって俺、塵芥だし。インターネッツとは全一レベルの実力者たちが鎬を削る場所だし……
そんな中で見ていたツク5のサイトがありまして。
(ここから先はあえてインターネット老人会を考慮してリンク切れでもサイトのURLを貼ります。気になる人はインターネットアーカイブを使って辿ってください)
ロブ星さんという方が運営していた「やっぱりツクール5」というサイトがありまして。
そこで誰に言うでもないあることがあって……
そのサイトに纏わるエピソードの前にツク5に触れておきます。
PS2で発売された家庭用のRPGツクールでした。
当時のインターネットには家庭用RPGに情熱を燃やす方々が多数おり、そうした方々は自分のサイトを作っていまして。
しかし、そんな方々が多数いれどツク5のサイトはほとんどなく2世代前のツク3を扱ったサイトが過半数でして……
理由としてはツク5は当時の家庭用RPGツクールの中では群を抜いて扱いが難しかったからですね。
ツク5は家庭用RPGとしては初めてスクリプトを搭載したツクールでした。
設計思想としてはツクール2000やウディタに近いものとなります(詳しくは後述しますがウディタに移ったのもツク5と設計が近かったから)。
今でこそ慣れ親しんだどころか、さらにはプログラミングさえできるようになったツクールが出てきていますが、家庭用RPGとしては未知の世界そのもの。
ツク3までとはまったく違う使い勝手に私も困惑するばかり。
みんながみんな、そうであったのか、ツク5のサイトは非常に少なかった記憶があります。
まぁ、でも、そんなツク5の持つ可能性に私は魅入られました。
インターネットに公開していない呪われし作品を完成させた後、ツク5サイトをあちこち巡っているうちに出逢ったのが先述の「やっぱりツクール5」様となりまして。
そこでは当時のツクールサイトによくあったテクニック集みたいなのがありました。
○○すると△△ができるみたいな感じですね。
今はとんと見なくなったなぁ、それ……

で、私はツク5で制作するうちにある技術を身に付けまして。
それがエラーメッセージを使ったインターフェイス。
ツク5はドラクエのUIをモロにパクっていまして、画像のように当時の時点で前時代的な話すや調べるのコマンドがありました。

当然、話すを選択した時に目の前にイベントがなければ誰もいないと表示されるわけで。
このエラーメッセージ……というか、メッセージ表示に関する処理を自由に設定することができまして。
例えばメッセージを表示せずにエラー音だけ鳴るようにできたりします。

さて、当時、私がツク5で作っていたゲームはこのエラーメッセージを表示新たなインターフェイスを新設していました。
で、回り道になりましたがこの技術が先述のやっぱりツクール5様に掲載されていました。
私がこの技術を見つけた後に。
つまり、この俺のツク5技術は世間よりも高い!
そんな変な自信を身に付けました。わりと誇張抜きで。
これがサイト設立の理由の一つ。
さらにサイト設立にはもう一つの理由がありまして……
こちらは時代の流れ。
どういうことかとなるとサイト設立の1週間ほど前、やたらとツク5サイトが立っていたんですよね。
よし、この流れに乗ろう!とhtmlの編集方法をまったく知らないまま、サイトを設立しました。
なお、やたらと立ったツク5サイトは全部1ヶ月も持たずに更新を停止しました。
俺を一人にしないでくれ……
自分に妙な自信を持ったとツク5がたくさん立ったというのがサイト設立のきっかけとなります。
ノリと勢いにしてももうちょっと何かあるだろうと思うけど、そんな理由で始まったサイトが20年も続くからよくわかんないものですね。
・ツク5時代の思い出
ウディタに移る前はツク5に情熱を燃やしていたのでいろいろな思い出が多々ありまして。
まずは出逢いですね。
プバアバアスクギアでお世話になったスバルイチさんとかビャッコーギャモンを作ったこげさんとかツク5時代に出逢った人は今でも付き合いがあります。
人脈は宝。
次に因縁というか、何だそれって思い出。
かつての家庭用ツクール界隈には西○多○希さん(名誉に配慮し一応伏せ字)という方がいまして。
(本人がネットから姿を消しているし)今だから言うのですが、まぁ、微妙なゲームばかり作っていて、そのわりに妙に攻撃的というかビッグマウスで……
まぁ、困ったちゃんなわけでしたね。
私自身は彼との繋がりはまったくなく、変な人がいるなぁと脇から見ているだけでした。
なのに、私と西○多○希さんが同一人物と主張する人が登場!
ど、どういうことだ!
いや、ホントどういうことなんだ……マジでわからん……
なお、そうした言いがかりをした(と思しき人)はネット上のあちこちに攻撃的な書き込みをしていて、まったく無関係な人も西○多○希さんだと豪語して荒らしのようなことをしていました。
おー怖……
まぁ、結局、私のサイトに直接乗り込んでくることはありませんでしたが。
何だったんだ、あれ……
なお、その西○多○希さんが何か不味いことをやらかしてそれで恨みを買っていたかとなると、彼の名誉のために言うとそんなことはなく。
ついでに私は彼のゲームを全部やっています。全部微妙でした。
ラスダン突入すると仲間が全員いなくなって主人公ソロパーティになった挙げ句、ラスボスがマヒを使ってくるのはなんぼなんでもダメでしょ。
けれど、その微妙さが反面教師として創作に生きていたり……
・サイトの運営の転機
サイトを運営していて流れが変わったなというタイミングがありまして。
サイトというか私自身の活動と言った方が正確なのですが……やっぱり、ウディタに制作ツールを移したことですね。
もっと言えばウディコンに出場したこと。
家庭用RPGツクールという闇から光の場へ活動の場を移したのはそれはもう全然違いました。
家庭用RPGツクール時代は私の作品をプレイした人はよくて10人いるかどうかだったと認識しているのですが、プバーはふりーむのDL数だけでも23000。
桁違い。
まぁ、癖強すぎて脱落者も相当数いたのですが。
ただ私の作風を好きになられた方はいまして、アスクギアでコミケに初出展した時にはその縁で買いに来られた方もいて感動した覚えがあります。
創作活動を続けられているのはこうした方々がいるからです。本当にありがとうございます。
ウディタデビューしたのは2010年。ウディコンに初出品したのは2011年。
(プバーを出したのは2012年のウディコンなのですが、実はその1年前に体験版をウディコンに出している。結果、翌年から体験版が禁止になりました。ちょっとだけ黒歴史)
その当時は8年間に渡って使い続けてきたツク5からついに切り替えたと思ったものですが、いつの間にかツク5より長く使っている。
しかも、現在進行形で進化をし続けている。
超神ツール……
・バキ感想
いきなり割り込むバキ感想。
サイト設立からずっと続けているコンテンツなのですが……何でバキ感想なんて書いてるの?
その理由としてはバキを楽しむためだったりします。
勢いだけに見えて意外と細かいところも描かれていたりして、そういう部分はただ読むだけでは気付かなかったりするのですが、感想を書いてみると目に付いたり気付いたりできます。
普通にただバキを読むよりも感想を書いている方がより楽しめているので続けています。
あとバキ感想の大御所、だったらイケるぜ!様に感銘を受けたというのもあります。
大擂台賽編の時に初めてだったらイケるぜ!様のバキ感想を読んだのですが、その読み込みの深さと表現力にとても感動した記憶があります。
私に一番影響を与えたサイトなのかもしれません。
今もバキ感想を続けておりいつまでも尊敬しています。
・シンフォギア感想
放映の度に感想を書いているのですが、間違いなく当サイトで一番アクセスが多かったコンテンツです。
アクセス数で言えばGXの頃が一番多かったのですが熱を感じたのは無印の頃でした。
最初はいつも通りのアクセス数だったのが物語の進行と共に盛り上がっていき、最終的には1日で6000アクセスくらいあった記憶です。
私自身もじょじょに、それでいて加速度的に熱を帯びていく物語に夢中になり、極めて高いテンションで感想を書いていました。
無印の第1話と第13話だと文量がまったく違いますものね。
こちらも書く理由はバキ感想と同じく楽しむため……もあるのですが、金子彰史を世に知らしめるためというアルティメット私情もあります。
だからこそ、意図的に金子彰史ネタを感想中に混ぜています。
今は金子彰史という天才が世に知れ渡っており、そういう意味ではシンフォギア感想は役割の一つを終えたと言えます。
でも、今後も続けます。だって楽しいんだもん。
・20年更新を続けられた理由
シンプルに見てくれる人がいたからです。
かつては毎日日記を更新していたのですが最近はtwitterでの呟きに傾倒し、サイトの定期的な更新はバキ感想くらいになったのですが……
それでもアクセスカウンターが動いているのを見ると元気が出てきます。
誰にも見られないというのがやっぱ一番辛いですからね。
ツク5からウディタへ移ったのも触れてくれる人を増やすためですし。
そういう点ではサイト運営とは自己肯定の手段の一つかもしれません。
本業のゲーム制作に関してもそれかもしれませんね。
私は社会に認められていない人間という意識がメチャクチャに強いので……
・今後の稲穂スタジオ
創作活動は頑張りますがサイト運営に関してはだらだら続けていきます。
まったく新しいことをするということもなく本当にだらだらと続いていくかと。
バキが連載をし続ける限りは更新のネタに困りませんからね。
もしもバキが終わったら……その時はまた何か違う更新のネタを見つけるのかなぁとか。
そんなわけで今後もよろしくお願いします。
私にとっては稲穂スタジオは人生と共にあるので、死期を悟ったらサイトの維持は可能な限り行うように遺したい所存です。