今まではラスダン前に響の葛藤は解消される傾向にあった。
だが、今回は葛藤を抱えたまま、ラスダンに突入することとなった。
これはシンフォギアシリーズでは初であり、またWAシリーズでもやってこなかった。
故に濃密な響のエピソードが待ち受けていることは想像に難くない。
あとウェル博士の変顔も。
困難に向き合った男と、困難より目を背け続けてきた男。
それぞれを父と背負う少女と少女が、この道に再び対峙し、激突する。
まろびつつ握った、なけなしの勇気だって「勇気」、だとしたら――
EPISODE11 へいき、へっちゃら
手札は揃った、役もある。ならばこそ札を切るのに躊躇はいらぬ。
ずっと求めてきた答えのために、その歌はついに響き渡る。
そんなわけでついに響回!
土壇場だけあり謎ポエムも「まろびつつ握った」とか「なけなしの勇気だって「勇気」」とノリノリである。
冴え渡る金子節。これには思わず笑顔。
第11話でついに響とキャロルは激突するようだ。
いや、第6話でも激突したけど今度は本格的にぶつかるに違いない。
マリアさんの時以上に熱く交差しそうである。
マリアさんの時は、あれは一瞬であったことに意味があるので……
スクショは爆発する潜水艦。
まぁ、大丈夫でしょ。次!
ウェル博士は上機嫌。それに対してキャロルは絶句。
……おう、頑張れよ、錬金術士。相手は英雄だ。強いぞ。悪い意味で。
最後の1枚は洸がいる。
やたらと可愛いモブがいる。
そして、右上に妙に存在感を出しているおっさんがいる。
金子彰史かな?
・ウェル博士 公式サイトで「ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス」のフルネームが初公開だ。
これには金子のおっさんも笑顔。
第10話でウェル博士の言っていた通り、物扱いされて収容されていたのだった。
悲しいネ。
また、「ウェル博士を封印していた独房は、一般的な囚人のそれとほぼ同じつくりとなっている」とぱっと見関係なさそうな情報も開示される。
一般的な独房と同じ強度のためにクリスのミサイルで破壊されたということか。
勢いだけで戦場に舞い戻ったわけではなくちゃんと補足していく。
無駄に細かい金子彰史のスタイルだゾ。
・クリスの境遇 ――細かい!?
キャラの心情が用語集でここまで補足されたことは初めてではなかろうか。
たしかに押っ取り刀と言えば押っ取り刀ではあったのだが。
でも、クリスは第10話になるとしゃっくりをこじらせるからなー。
まずは「国交の途絶しているバル・ベルデ共和国へ、グアテマラを経由して入国」とグアテマラは必要か?と思わせる出だしが胸を躍らせる。
まぁ、内戦で不安定な国なのでそうした場所でも活動してきたことを示唆しているのか。
大変な雪音一家であった。
なお、バル・ベルデは映画でよく使われる架空の国である。
有名なコマンドーにも使われました。
「極端に狭い人間関係のなかで成長してきたクリスは、他者との繋がりに対して、ある種の「恐怖」と言ってもいい程、慎重になってしまう傾向がある」とクリスの人付き合いの不器用さが改めて描かれる。
豪快そうで臆病なのがクリスである。
臆病だからこそネフシュタン時代に響と対峙した時は思わず敵意を露わにし突っぱねてしまうのだ。
「響たちとの出逢いによって、差し伸べてもらった絆を尊いものと考えると同時に、自分から誰かに差し伸べる手はいつもぎこちなく、その事実がクリスの心に影を落とす」とクリスが抱いてきた違和感にも触れられる。
誰かの痛みを自分の痛みを感じてしまうほどに繊細だからこそ、自分が誰かを傷付けることが耐えられないのだろう。
戦場では暴れれど、ことプライベートは慎重そのものである。
そんなクリスがリディアンでは先輩をやって、家にみんなを招いたことはとんでもない勇気が必要だったのだろう。
それだけにここまでに見せたクリスの日常がとても儚く尊く見えるのだ。
「新しくできた後輩たちに対して、「先輩」であらねばという思いに懊悩し、自問自答を繰り返してきたクリスであるが、その答えは自分の中に無く、知らず下に置いていた後輩たちによって気づかされる」と先輩症候群についても触れられる。
これは翼という立派で傍迷惑な先輩がいたことに起因するか。
あの人も不器用な先輩だったからなー。
学ぶ相手がちょっと悪かったかも。
思えば切歌を突き飛ばした時は先輩にそっくりだ。
あの人、後輩を守るためなら後輩を突き飛ばす人だった。クリスもそれを学んだのだろう。
クソ先輩が!
そんなわけでクリスの繊細な心情やその経緯が公式に触れられた。
繰り返すが金子彰史が設定を語ることはままあれど、心情を直接語るのは異例である。
精々インタビューくらいだ。
クリスを語るには本編だけでは足りないということか。
よし、第4期と劇場版をやろう!
・潜水艦チョップ事件 誰も心配していねえ!
・金子彰史作品における英雄 ウェル博士が登場したことで再び英雄の2文字が跋扈することとなった。
英雄はシンフォギアにおいても度々扱われている他、WA2のテーマでもある。
というよりも、WA2以降、英雄という存在が度々扱われるようになったと言うべきか。
だが、金子彰史作品における英雄は必ずと言ってもいいほど華々しさとは無縁である。
シンフォギアだけ切り取ってもヒーローとして完成に至っていた奏、天才的な才能を持つセレナ、月の落下を防いだナスターシャ教授……
その全員が命を落とす結果に終わっている。
響も英雄としての側面が強要された第2期の頃は融合症例の症状が進行、命が危ぶまれることとなった。
英雄の方が悲惨な人生を歩んでいる。
ウェル博士も物扱いされている。
だからか、響のキャラソンでは英雄を否定する一節が組み込まれている。
シンフォギアは英雄が活躍する物語でもなければ、誰かが英雄になる物語でもない。
助けられる側も一生懸命。誰もが生きることを諦めないことで未来を紡ぐ物語なのだ。
そんなわけで自身を英雄英雄と言うウェル博士はアンチテーゼとも言える。
そんなわけで金子彰史作品における英雄を振り返ってみたい。
-天使の詩2
実質最古の金子彰史作品。
前作主人公、ケアルは世界を救った英雄……に見せかけてヒロインと死別している。
挙げ句、呪いで100年間も老いず死なずに生きることになった。
最初期からのハードな英雄人生である。
-WA1
英雄らしい英雄はこの時点ではいない。
ただファルガイアの荒野化を止められなかったりと、世界を救った英雄だからと世界に抜本的な救いを与えられるわけではないと後の英雄描写に通じるものがある。
-WA2
テーマが英雄だけあって悲惨な英雄盛り沢山。
変身ヒーローのアシュレーはロードブレイザーを裡に秘めている。
解放戦線の英雄のブラッドは偽者。
ティムはそのまんま生け贄。
カノンは英雄になるために身体中を改造。
英雄の子孫として英雄になろうとしたアーヴィングは歩けなくなる。
世界を救った英雄オブ英雄のアナスタシアは死にたくなかったと叫ぶ。
頭から尻尾まで悲惨な英雄勢揃いであった。
同時に「誰かが英雄になれるのなら誰もが英雄になれるはず」とシンフォギアの「助けられる側も一生懸命」に通じる思想がある。
WA2で金子彰史の英雄観は完成に至っており、それはシンフォギアでも生きている。
-WA3
英雄らしい英雄はいない。
金子彰史が嫌いなキャラ、ジークフリードは自身を英雄と自称していたくらいだ。
なお、ジークフリードはやたらとデカいスケールを掲げやってきたくせに、ファルガイアに一切の実ダメージを与えられなかった。
ヘタレ。
ダメな英雄としてのアンチテーゼ?
なお、ラストバトルの結果、ファルガイアは消滅するのだが、それをファルガイアに生きる全員の想い出で復活させるという無茶をする。
世界を救うのは世界に生きる全員という金子節は健在。
そして、これはGXでも出番のあるような……
-WA:F
基本的にWA1なので英雄らしい英雄はいない。
が、追加されたサーフ村のイベントはかつて村人たちを助けたロディが村人たちに助けられるという生きるのを諦めるな展開。
助けられる側が助ける側に回るのは10年以上も前からなのだ。
-WA4
久し振りに堂々の名実共に英雄登場。
ハウザーとガウンの2人である。
ハウザーは英雄だが実験だったり平和のために戦い続けた結果、人間を憎み滅ぼそうとしたり相変わらず悲惨。
それでも世界をグラウスヴァインの脅威から救い、新興軍事勢力を壊滅させることで戦争を未然に防いだりと、英雄らしい活躍も多い。
後者はやや一時期のクリス的だけど。
ガウンはOTONA。
-WA5
……すまん、覚えてない。
小生はWA5には厳しいのだ……
-WAXF
ラスニールがその武名から英雄と言えるか。
が、病に冒されている上に妻を失っているとまた悲惨。
でも、剛剣王のくせに何故か素手がやたら強かったりOTONA。
悲惨な目に遭うのが金子彰史作品における英雄のお約束である。
同時に後年になるほど英雄らしい活躍はもちろん、OTONAらしさを見せている。
ウェル博士は……OTONA分が足りんな。
英雄は英雄でもWA3のジークフリードだ。
金子のおっさんはウェル博士が大好きっぽいのが明確な違い。