ソウルシリーズにおいて何故侵入するのか



ダクソ3をやっていてふとソウルシリーズで何故侵入するのかを考えてみた。

ソウルシリーズにおいて侵入というものがある。
これはマップを攻略中のプレイヤーのステージに乱入し、ホストを倒すというものである。
アクションRPGの敵側になれるという画期的なアイディアだ。
ソウルシリーズが人気を博したのはこのアイディアによるものが大きいだろう。
ややもすれば単調になりがちなマップ攻略が侵入というフレーバーのおかげで飽きさせないものとなっているのだ。

だが、侵入側にはホストと比べるといくつかのハンデがある。
その中でも特に大きなハンデは侵入側の人数は1人だけだが、攻略側はホストを含めて3人で戦うことができる点である。
当然、1対3となれば侵入側の不利は相当なもので、正面からやればまず勝つことはできない。

そのため、この不利をどう覆すかに侵入側は頭を悩ませることになる。
物陰に隠れて不意打ち、相手を落下死させて瞬殺させる。
いろいろなやり方があるのだが、その中でも特に大きなものとしてはマップにある雑魚敵、モブを利用するというもの。
モブは攻略側には当然襲いかかるが、侵入側には無害どころか大事な仲間だ。
モブをどう利用して数の不利を補い勝利するかが侵入側の醍醐味と言えるだろう。

このモブ利用という概念は通常のプレイにはないものである。
普通に攻略していれば決して味わえない侵入側ならではのものだ。
侵入というものはソウルシリーズ独特のシステムなだけでなく、独特の楽しさも詰まっているのだ。
とはいえ、モブを利用しても所詮は雑魚敵なので侵入側が不利なのは変わらない。
それでもその不利を承知で侵入するのはこの楽しさがあるからだろう。

だが、このモブ利用、シリーズを経るごとにじょじょに不便になっていっている。
まず、初代となるデモンズではシリーズでもっともモブ利用の自由度が高かった。
というのも、モブに攻撃できる。侵入側がモブを倒すことができるのだ。
それを利用して攻撃力の低い、あるいはゼロの武器でモブをのけぞらせて移動させて、モブを自由にポジショニングさせることができた。
普段はいないところにモブを移動させて意表を突いたり、モブの密度を高めて数で押し切ったり、様々な戦術が存在した。

とはいえ、これはこれで問題もあった。
モブを攻撃できるということは倒すこともできる。
なので、マップ上のモブを侵入側が一切の反撃を受けず全て倒すことができた。
デモンズの一番簡単な攻略法はこれになる。
当然、ソウルシリーズの売りとされていた攻略の緊張感も何もなくなる。

なので、ダクソ1では侵入側のモブの攻撃が廃止された。
これによって移動させることができなくなってしまった。
結果、侵入側におけるモブ利用というものはモブのいるところで攻略側を待ち構えて、同時に襲いかかるといった単純なものになった。
正直、小生としてはこれを『モブ利用』と呼ぶのは憚られる。
決まった配置を利用するだけで戦法に幅がないからだ。
『モブ利用』じゃなく『モブ頼り』ではないかと。

ダクソ2になるとまた不便になる。
「巨人の木の実」というアイテムが登場した。
これを攻略側が使うと侵入側もモブに襲われるようになるのだ。
侵入側にとってモブは数の不利を補える唯一の要素である。
だが、それを使えなくなるというのは致命打に他ならない。

この巨人の木の実は初心者救済を考えたものだろう。
対戦慣れしたプレイヤーが侵入すると慣れていないプレイヤーは相手にならない。
そのために特化したキャラビルド、いわば初心者狩りというのも存在した。
それを緩和させるためのアイディア……のはずが、攻略側はマップを攻略せず複数で固まって侵入側をリンチにするいわゆる出待ちを加速させることになってしまった。
侵入側としてはつまらないにもほどがある。
巨人の木の実は明らかに失敗だ。間違いなく失敗だ。

とはいえ、モブが侵入側を攻撃するようになるだけで攻略側の味方になるわけではない。
なので、侵入側は巨人の木の実状態でモブを引き寄せて、ホストにぶつけるという策があった。
それで乱戦に持ち込めばモブの攻撃は例え侵入側を狙ったものだとしても攻略側にも当たる。
まぁ、苦し紛れではあるが一応程度には利用手段が存在した。
巨人の木の実は失敗だけど。

この巨人の木の実はダクソ3にもある。
じゃあ、ダクソ2のようにモブを引き寄せて……と思いきや、ダクソ3ではそうもいかない。
ダクソ3のモブは定位置からあまり離れたがらない。
そもそも(対戦時は特に)反応が鈍くどうにも頼れない。
ダクソ3はマップの広さのわりにモブの密度が薄いため、なおさらこの傾向が強い。

そんなわけで巨人の木の実を使われたら即離脱するようにしていた。
こっちはモブを使って戦いたいのであって、タイマンや複数にボコられるだけのリンチをやりたいわけではない。
そう思いながらやっていて、モブの影に隠れながらチャンスを伺っていたら突然モブに殴られた。
混乱しているとふと思い出したのが魅了という魔法だ。
その名の通り、モブを一時的に味方にするものだ。
ダクソ1から存在していたが、久し振りに使われてやっとその存在を思い出した。

これを受けて頭の中が真っ白になった。
思わずコントローラーを手放してしまった。
無論、死んだ。
勝ち負けがもうどうでも良くなってしまったのだ。

魅了を使われると侵入側にとって大事な仲間が敵になる。
それだけでなく攻略側には攻撃を仕掛けないため、強力なモブでさえ簡単に処理できるようになる。
侵入側の生命線を断たれるため、非常にキツい。
ダクソ3は1対3で正面から戦っても勝ち目を見出せない仕様なのでなおさら。
というか、侵入側にとっては弓でちくちくとモブを掃除されるだけでもキツいのだが。

魅了はゲーム全体で見ると効かない敵も多いし、ピンポイントで刺さったに過ぎない。
だが、そのピンポイントで、かつ致命的なまでに小生のモチベーションを削いだ。
そして、どうしてわざわざ不利な侵入をしていたのかを考えてしまった。
侵入するのは前述した通り、モブを使って戦いたいからだ。
そこにはソウルシリーズならではの独特の楽しさがあるからだ。
だが、その楽しさを巨人の木の実といい、フロムから真っ向から否定されてしまった気がする。

ダクソ3は様々な仕様が噛み合ってシリーズの中でも特に侵入側が不利なゲームになっている。
その仕様の噛み合いと比べれば魅了など些細なものである。
だが、そうなってしまったのはフロムが侵入側のことをまるで理解していないからだという結論に至った。
「不利な状況でプレイするのが楽しいマゾプレイヤー」とでも勘違いしている。
違うんだと。侵入側には攻略側にはない楽しさがあるからこそ、侵入しているんだと。

ダクソ3自体はよく出来ているとは思うのだが、どうにものめり込めない、ハマり切れない理由がわかった気がした。
侵入の楽しさをフロムが切り捨てて行っているのだ。
もちろん、全てのホストが巨人の木の実や魅了を使うわけではないのだが、そんな穴があると思うとモチベーションはどうにも上がらない。
フロムが侵入側のことを理解していない以上は改善もされないだろうし先もない。

こうなったのは攻略側を変に庇護しようとしたからではなかろうか。
そりゃあデモンズで初めて侵入された時はわけもわからず殺されてしまった。
そんな殺され方をされれば嫌気が刺すというのもわからないでもない。

だが、侵入されることに怖さがあったからこその緊張感があった。
慣れたマップ攻略がいつまでも新鮮に感じることができた。
デモンズやダクソ1を何周もしたのは侵入というものがあったからに違いない。
それに侵入されないようにするための手段はある。
侵入が嫌なら侵入されないようにすればいいだけだ。

なのに、侵入側に対する対策が無駄に増えてしまった。
侵入側は数で劣る以上、原則的に不利になるというのに、さらにその不利を増す要素を増やしてしまっている。
その不利が上乗せされ続けた結果、侵入側にとっては息苦しさばかり感じるゲームになってしまった気がする。
高難易度の硬派なゲームだと喧伝していたはずなのに、ダクソ1やダクソ2みたいな理不尽な殺し方はなくなり、侵入側に不利な要素が増えてのんびりと攻略できる。
すっかり攻略側に優しいゲームになったなぁ……

デモンズは今でも大好きなゲームだ。
破綻している部分も多いものの、各種要素の絶妙なバランスは見事だったし楽しかった。
ダクソ1は今でも大嫌いなゲームだ。
デモンズに継ぎ足された数々の破綻した要素は今思っても腹立たしい。
そう感じながらも妙にやり込んだし、練り込まれたマップ構成や全体の雰囲気は嫌いどころかむしろ好き。
どこまでも嫌いだけど忘れられない何かを与えてくれた立派にそびえ立つクソだ。

それらに対してダクソ3はよく出来ているし面白いと思う。
破綻している要素も特にはない。
けれど、それ以上の感情を抱けないゲームになっている。
理屈に訴えてはいるが感情に訴えてはこないのだ。
果たして最終作に抱く感想としてはこれでいいのだろうか……